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川崎ミュージアムでは1988年の12月に最初のメディアアート教育普及活動ビデオアート講座をやられています。1999年に花篤 實(けいとくみのる)の「メディア教育・異文化理解教育・映像教材およびガイドラインの開発」によって美術教育におけるメディア教育のガイドラインが示されたこと、2002年に中学学習指導要領で最初のメディア記述が登場したことなどを考えると川崎ミュージアムの取り組みは(恐らく)メディアアート教育としては日本で最も早かったのではないでしょうか。なぜ展示収集保存だけでなくいち早くメディア教育をはじめたのでしょうか?

1980年に現代映像文化センター構想を立ち上げました。現代社会は、複製技術によって生みだされた印刷・漫画・ポスター・写真・映画・テレビといった視聴覚的な記録と表現が拡張してきたことを見据えて、19世紀末から現代まで、メディアについての理解を高めるために、資料と作品を収集し、調査、研究していくという基本的な考え方としました。また、翌年から「地方の時代」映像祭を神奈川県と川崎市、日本放送協会、日本民間放送連盟との共催で開催しました。ビデオの普及によって、テレビ番組を集めて、自治体が全国のテレビ局とケーブルテレビ局の番組をコンクールする初めて試みでした。ビデオは図書館の貸出し、視聴やビデオレンタルも一般化され、‘88年にはVTRの普及率も60%を超え、ビデオを再生して見る環境が整ってきた時期でもあり、これまでのマスコミ研究や16㎜の視聴覚教育から、メディアスタデイーとしての認識を開館した当初から持っていたことによります。川崎市市民ミュージアムは、漫画、写真、ポスター、映画、ビデオといった分野ごとに、専門の学芸員を採用したことも、活動の中で、ビデオアートの収集と講座を実施していくことができました。

 

 

作家の作品製作を川崎ミュージアムで1995年11月「残雪(小林英彦)」で行われていますが、このような製作までをミュージアムで行う理由、目的を教えてください。

Artist in Residenceとして、滞在型の芸術創作支援が、行われある一定の評価を得られ、地域性の特色を芸術家と共有し、新たな作品を生み出すことが美術館活動としても認められてきました。こうしたメセナ活動も含めて、まだ映画製作は、ほとんどそれ前例がなく、川崎市市民ミュージアムは、制作のためのスタジオ、フィルムの機材、編集室などの設備があるため、映画製作の支援事業として行いました。その目的は、個人の映画製作には、機材や撮影等におけるサポートが必要で、公的な映画製作支援によって、インデペンデントな個人映像作家を育成し、それによって、新たな映像表現をプロデュースしていくためでした。個人の映像制作は、機材の使用など、作家の負担が多く、個人向けの貸出しの映像と音響のスタジオはほとんどありませんでした。

 

 

これまでアニメの単独上映、戦時映像の一般公開、海外のCMの上映会など幅広いセレクションと川崎ミュージアム独自のプログラミングで上映会をされているように感じますが、どのようにして上映会の企画(なぜこの作品を今上映するのかなど)ができていくのでしょうか。上映までの企画の経緯とセレクション方法について教えてください。

上映プログラムは、年間のシネマテークとビデオライブラリー事業で決定していきます。上映も、企画展の一つであると考えています。映画の上映のために、興業組合に加盟していることで、映画会社等から35㎜フィルムを借りて上映することができます。映画の上映のために、興業組合に加盟しています。

企画は、展覧会に関連する場合と、映画の企画で、フィルムを選択して、上映順番を決めていきます。この順番、日程で、映画を見てもらうと、特集として組んだテーマや人物、比較しあうことなど、さらにシンポジウム、トークなどを交えることで、これまでに未評価なもの、公開されてこなかったものや分野を上映するようにしています。テレビCMやテレビドキュメンタリー、テレビドラマは、美術館や博物館では上映されてこなかったものです。

 

映像作品の展示方法についてですが、ヴィデオアートなど当時のブラウン管で観ていたような作品はどのようにして展示されていますか?当時と同じような環境を設置することなどを意識されていますか?

ビデオライブリーでは、個人視聴によって、希望する映像作品を、自分で操作して液晶テレビまたは学芸員が、技術の変化にも対応しながら、その作品を最適に公開する方法を展示で使用し、個人の視聴では、書籍と同じように液晶テレビで見ることができるように、いくつかの方法を選択的に決めていきます。1970年代~1990年までの作品は、マスターテープがアナログで、公開していた当時の再生とディスプレイは、保存してあるので、ブラウン管のテレビで再生することは、作品が公開された同一性保持をもつ公開となります。アスペクト比や色調は、原作品の制作時に決定されており、それに従いますが、そのデジタルマスターをつくる場合は、原則的には作家の許諾が必要となります。

 

作品の収集について、映像作品の収集はどのような基準で選定していますか。現在は貴重でないと思える資料も何年後かにみると貴重な資料になることなどはありますか?

収集方針は、調査からはじめ、分野別、年代別、作家別などでリストを作成し、所蔵先、購入のための交渉を行って収集します。川崎市市民ミュージアムの基本的な収集方針は、20世紀をたどる記録的価値と表現等の芸術的価値など、評価書を作成し、候補リストを検討していきます。

(1)川崎市に関わる記録

(2)ニュース映画・ニュース映像(20世紀の出来事)

(3)ドキュメンタリー

(4)ビデオアート

(5)CM

(6)地方の時代映像祭作品

(7)牛山純一のテレビドキュメンタリー

(8)映画(洋画・邦画)

(9)舞台・音楽・美術

(10)祭りの記録・無形民俗文化財

上記の項目ごとで、寄贈・寄託・購入の交渉・手続きによって収集していきますが、収集するリスト・寄贈・寄託される内容が不明確な場合も含めて、調査していきます。例えば、2,000本以上の16㎜フィルムが寄贈される場合は、いったん保管し、川崎に関わるもの、年代別にアーカイブとして、国内の他施設で保存されていなかも照合します。フィルムやビデオ以外にも、個人の映画監督の所有物、脚本などもリスト化して、選別し、保存するものを決定していきます。

 

1984年に東京都美術館でナムジュンパイクの展示、1985年に開かれたつくば科学万博によって作品と観客が双方向に楽しめるインタラクティヴ・アートや、ヴィデオやコンピュータを組み合わせたメディア・アートが紹介され、1986年に東京都で「写真文化施設の設置」が発表、またギャラリーワタリで「パイク・ワタリ二重奏」展が企画」されました。この1980年代、写真、映像、アニメなどメディアアートが当時の先端の技術を利用したアート作品が積極的に展示企画されているように感じます。それらの影響をどのように受けて1988年に川崎ミュージアムが開館したのでしょうか。また当時の雰囲気を教えてください。

ビデオ及びフィルムによる芸術活動と作品の発表は、現代美術としてとらえられますが、公立の美術館として、国内外のビデオアート作品は、同時代的に美術館でコレクションされた事例は少なく、ショーイングという上映から、作家による展示として行われてきました。当館は、日本で最初のビデオを専門とするギャラリーSCANを運営しているプロセスアートに、海外からのビデオアート作品の配給もしていることから、1970年代~1980年代までの作品を選定し、体系的に収集することで、ビデオアートの世界を特徴づけようと考えました。そのためVTRの装置も業務用、放送機器用も設備としてもち、ビデオテープが劣化することも考慮して、保存マスターと視聴用を購入し、アーカイブする計画で機材も保存しています。この時期に展覧会や上映会が増えてきたことは、ビデオアートが社会的に認知されはじめた頃で、1979年にNHKでも「ビデオアートへの招待」という番組が制作されていました。

 

1980年代は新たな技術を取り入れた作品というような印象です(ヴィデオアートなど)現在では携帯のカメラで誰でも映像が撮れるように、映像メディア自体に対しての鑑賞者の関心は当時よりも低いような印象があります。当時の作品を今の美術館はどのように評価をし展示をしていますか。また今後メディアアートと美術館はどのようにかかわっていくと思いますか。

 

 

1977年にフランスでポンピドゥーセンターが開館し、19世紀まではオルセー、20世紀からの現代美術はポンピドゥー、そして総合的な情報図書館を複合化した、新しいコンセプトの美術館で、2010年には分館もオープンしました。

 

21世紀の美術館は収蔵庫とギャラリーから展開し、映画館をもち、図書館をもち、地域に開放され、地域から世界へとつながりをつくる場になっています。日本では金沢21世紀美術館や、2015年に開館予定の大分県立美術館などは、https://www.opam.jp/op/、建築設計と現代美術を扱う美術館のコンセプトとしては新しいものです。

人をつなげる・フレキシブルでジャンルを横断した展示・参加できる・本を見つけられる、これは40年前に、ポンピドゥーセンターの活動でいわれるキーワードで、6万点以上にも及ぶコレクションと、30万冊の雑誌類と40万冊の開架されている図書があります。美術館の企画展示を見るだけの人数が多いことだけで、予算がつき、人気のある美術館という指標では、メディアを学び、漫画、ビデオアートを見るという少数派の来館者がいることも気がつかれずにいます。文科省がすすめる「メディア芸術祭」は、若い世代を支援するものとして必要ですが、保存と学ぶ場は、限られた美術系の大学と、わずかな美術館だけです。そこで、まだ実現していませんが、コレクションしたビデオアートやドキュメンタリーなどを紹介するサイトを立ち上げて、関連する書籍類を閲覧しやすくすること、‘80年代のビデオアート作品を若い世代とコラボして展示することで、もう少し多くの人に、その存在を知ってもらうことが必要だと思っています。これを実現させる専任の学芸員はいなので、ほかの事業を行いながら、プロジェクトをつくり、ゲストキュレーターとして若い世代と上映・展覧会を組み立て、サイトでの情報をアップさせていければと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インタビュー  

川崎市市民ミュージアム

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