はじめに
私はこの論文において、「メディアアートと美術館の関係」から教育現場におけ るこれからの美術教育について提案したいと思う。これまでのメディアアート の流れを外観し、この論文に置ける「メディアアート」の定義を明確にし、そ の中で美術館がどのように関わってきたかについて考察する。また現在の教育 現場におけるメディアアート教育の現状を検証し、最終章では教育現場におけ る、これからのメディアアート教育について提案をしたいと思う。
私がこのようなテーマを設定した理由は大学生活に置いて経験した二回にわ たる小学校の教育実習から、小学校の美術教育における「メディアアート教育」 の現状に疑問を抱いたからである。
私は二回の小学校の教育実習の研究授業で「メディアアート教育」の実践を 試みた。「メディアアート」をテーマにした理由は、手先が器用でない児童であ っても、面白いアイデアさえあれば作品を作ることができるという事を伝えた かったからだ。また、これからの社会でテクノロジーがますます発展していく 中で人間はどうテクノロジーと関わっていくべきなのか、どう関わる事ができ るのかという事に強い関心がありこの教材に決めた。具体的には各グループ(4 〜5人)に一台カメラと三脚を用意し、最初の時間にグループで脚本を考え、 その次にデジタルカメラを使って撮影を行い、一枚一枚の写真を繋げ動画をつ くるという内容であった。パラパラアニメーションと同じ方法論である。基本 的にはカメラのシャッターを押すだけなので技術力はあまり必要ではない。こ んな動きをつけたら面白い動画になるのではないかと想像しながら一枚ずつ繋 げていく作業である。この作業は実に単純に思えるが、なかなか難しい。一枚 ずつの静止画という素材を頭の中でつなげて動画にして考える必要があるから だ。結果としては普段、手先がそれほど器用でない児童も積極的に活動に参加 し、さまざまに発想しながら取り組むことができていた。また最後の授業では 上映会を行い、他のグループの映像作品の鑑賞会を行った。同じ環境であって も全く異なる映像作品を作っていた事に対して、子どもたちは関心を持って鑑 賞していた。この時、担当の図工の先生からは実験的な授業で面白かったとい う評価とともに、このようなメディアアートの授業はこれまで前例がなく、担 当の図工の先生自身もどう取り組み評価したらいいのか正直分からないということをおっしゃっていた。この二回の教育実習において「メディアアート」が 美術教育の現場のなかでは未開拓な部分なのではないかと感じるようになった。 もう一つの理由は日頃、現代アートを展示する美術館で作品を鑑賞する中で、 映像作品の展示に疑問を感じていた。映像作品のような時間芸術の場合、その 他の作品と同列に配置されていると、明らかにそこだけが異なる時間空間とな る。一直線上でない交錯した時間体験は鑑賞者どう捉えているのだろうか。は っきりとした始まりや終わりの見えない循環的な上映展示、同じ映像作品であ ってもスクリーンの大小によって全く異なる印象、体験となるだろう。東京国 立新美術館で行った「ヴィデオを持ちながら映像、60年代から今日へ」(2009 年 3 月 31 日(火)から6 月 7 日(日))では12時間分の展示上映を行ったが、全て の作品を鑑賞すると閉館時間を超えてしまうのだ。美術館の学芸員はどのよう な意図で展示を行っているのだろうか。インターネットが普及し誰もが簡単に 映像を見る事ができるなった昨今、映像作品を美術館で鑑賞するという行為は 鑑賞者に対してどのような意味があるのだろうか。 以上のように、教育実習と美術館の展示において感じた疑問から、メディアア ートと美術館の関係からこれからの美術教育について考えてみたいと思った。

